
PROFILE
1988年9月8日生まれ。広島県庄原市出身。小学3年生の時に本格的に水泳を始め、高校3年生の時にインターハイで優勝した。2007年に東海大学に進学。大学2年生の時に北京オリンピックに出場し、女子200m平泳ぎで7位入賞。2011年に大学を卒業すると、社会人として水泳を続ける傍ら、東海大学大学院に進み、2013年に修士課程を修了した。2016年の日本選手権水泳競技大会で優勝し、オリンピックの出場権を獲得。リオデジャネイロオリンピック女子200m平泳ぎで金メダルに輝いた。2018年3月に現役を引退し、現在は水泳指導や講演活動などを行っている。金藤理絵さんの学生時代は・・・
はじまりは屋外プールの一角!水泳は長期休暇限定の習い事だった

幼いころから、高校の体育教師だった父に水泳を教わっていたので、通い始めた時には4泳法すべて100メートルずつ泳げる状態でした。ただ、基礎が身についていたわけではないので、一般的にはクロールが一番速く泳げるとされる中、私はなぜか平泳ぎが一番速く泳げたんです。そこでクラブでは平泳ぎを中心に取り組み、小学4年生になると大会にも出場しはじめました。都会の子は頻繁に大会に出場する機会があると思うのですが、私が住んでいた地域は大会が少なく、私が参加した大会は年に2回ほどでした。ただ、期間が空くからこそ、毎回、自己ベストを更新することができたんです。泳ぐたびにタイムが速くなっていくことが楽しい一心で、水泳に取り組んでいましたね。一応、小学6年生の卒業文集には「オリンピックで金メダルをとる」と書いたのですが、特に書きたいことがなく、水泳をやっているから水泳選手にしておこうか……といった感覚でした(笑)
中学校に上がってからも、変わらずスイミングクラブで水泳を続けました。入学前に室内プールができたこともあり、毎日練習するようになりました。「練習がつらい」などのマイナスな感情はなく、学校以外の友達に会えるのがとにかく楽しかったです。次第に実力もついてきて、中学2年生の時に、はじめて全国大会に出場。「県大会を勝ち上がると、地区大会や全国大会にいけるんだ」と、いち水泳選手としての常識を知りました。ジュニアオリンピックの存在も知り、全国大会やオリンピックが“テレビで見るもの”から“目指すもの”に変わりました。
高校1年生の時には、はじめて全日本選手権に出場しました。オリンピック選考も兼ねた大会ということもあり、選手の緊張感や観客の数が桁違いでした。私も完全にその雰囲気にのまれてしまい、わけもわからぬうちに終わり、散々な結果に……。これまでの大会では勝ち負けよりも自己ベストを出すことにこだわってきましたが、リベンジを果たすべく、順位でも結果を残したいと思うようになりました。ただ、そんな気持ちとは裏腹に、合宿などを通して、まわりの選手はきちんと基礎を学び、小学生時代から毎日練習しているのに対し、私は平泳ぎ以外の基礎がなく、積み上げてきた練習量が少なかったことを徐々に痛感していきました。他にも、さまざまな失敗やハードな練習を重ねるうちに、高校3年生の時に人生ではじめて「水泳をやめたい」という気持ちが生まれてしまいました。それでも、友達が掛けてくれた「やめたいっていう気持ちは本人にしかわからないけれど、私は頑張ってる姿が見たい」という言葉で、もうちょっとだけ頑張ろうと踏ん張りました。
「五輪で金メダル」が絶対に叶えたい夢へ
同期やコーチの存在があったから、苦しい時期も乗り越えられた

モチベーションが回復した勢いそのままに、大学2年生の時には北京オリンピックに出場することができました。正直、たまたま標準記録を突破できたから出場できた感覚だったため、メダルは夢のまた夢。決勝に残ることを目標としていました。ただ、自分のレースの直前、北島康介さんが世界新記録で二連覇を果たしていたんです。それまでは憧れの存在でしたが、無性にうらやましくて、自分も北島さんのようになりたいと感じました。小学6年生で掲げた「オリンピックで金メダル」が、絶対にかなえたい目標になった瞬間でした。
しかしその後は、苦しい日々が続きました。2012年のロンドンオリンピックに落選し、他の世界大会でもなかなかメダルをとれず、何をやってもうまくいきませんでした。大学卒業とともに切磋琢磨してきた同期がどんどん水泳の道から離脱する中、こんなに頑張って若い世代と張り合っているのに結果を残せない悔しさでいっぱいに。2014年頃はどうしたらやめられるかということしか考えていませんでした。それでも、なんとか水泳を続けることができたのは、同期や加藤コーチがいたからです。当時、鈴木聡美選手と私が同タイムで200m平泳ぎの日本記録を持っていたのですが、ある時、同期から「同期の名前が日本記録として残っているのがうれしい」と言われたんです。若い世代を応援する声が多い中、そう言ってもらえたことがとてもうれしかったです。また、大学時代からずっとお世話になっていた加藤コーチは、応援されるのもつらいくらい弱っていた時に「こんなに応援してもらえる人はいないんだぞ」と、7年半自己ベストが更新できずにいた時には「7年半前とは体もテクニックも変わっているから、同じものを求めてはいけないよ」と、声をかけて励ましてくださりました。やりたくないことをやるのは自分自身でも大変なのに、それを他人にやらせるのはとても体力がいることです。ずっと手を離さずにいてくれた加藤コーチがいなかったら、途中でやめていたんじゃないかと思います。
そして迎えたリオオリンピック選考会。たくさんの観客で埋まる会場へ入場しながら「やめていたら、こんなに応援してもらえることはなかったのか」と胸がいっぱいになりました。レース前なのに泣きそうになるくらいうれしかったです。さらに日本人ではじめて200m平泳ぎで2分20秒を切り、生涯ベストも出すことができました。その後のリオオリンピックで夢に見た金メダルを獲得することになりますが、この選考会が水泳人生において最も忘れることのできないレースとなりました。
金藤理絵さんからのワンポイントアドバイス
練習の最後は“できたこと”で締めくくろう

(1)体幹を使って息継ぎ…ビート板を使わずにキックの練習をする時、息継ぎのタイミングで手をかいてしまうことがあると思います。そこをぐっと我慢して、手を離さずに伸ばしたまま息継ぎしてみてください。バランスがとりにくくて少し大変ですが、その分、体幹が鍛えられます。体幹が鍛えられると、実際に泳ぐ時にフォームが崩れにくくなったり、より長く泳ぎ続けることができるようになったりします。
(2)足首を柔らかくするストレッチ…平泳ぎ以外の3泳法は、膝を軽く曲げて足を上下に動かすキックで進みます。足首が柔らかいと足の甲がまっすぐ伸び、板のようになるので、膝を曲げなくてもたくさんの水をキックできるようになります。ストレッチの方法としては、足先をつま先立ちのように曲げながら正座をしたり、足の甲側と膝の裏側に丸めたタオルを挟んで正座をしたりすると、よく伸びると思います。ちょっと痛いと感じるくらいの負荷で、暇さえあればやってみてください。
(3)肩甲骨を動かすトレーニング…肩甲骨が柔らかいと、肩を故障しづらくなります。また、肩甲骨をスムーズに動かせれば、遠くの水をキャッチすることができます。そのため肩甲骨を動かすトレーニングは大切です。片腕ずつ、真上・真横・真下に手を伸ばしてみてください。より遠くに手を伸ばして、肩甲骨の可動域を広げるようなイメージでやりましょう。トレーニングチューブがある場合は、背面でチューブを持ち、同じように片腕ずつ真上や真横に腕を伸ばしてみてください。練習前にやることで、水中で腕が動かしやすくなると思います。
部活をやっていると、何をやってもうまくいかない時期ってあると思うんです。そういう時は無意識のうちにできないことを探してしまいがちです。私も「今日の練習も何の意味もなかった」と自暴自棄になっていたことがありました。立ち直る方法としては「これはできなかったけれど、あれはできた」など、最後をできたことで締めくくってみてください。極端なことを言えば「練習に行った」だけでもOK。頑張って練習したのだから、前向きな気持ちで一日を終わってほしいと思います。
※掲載内容は2025年6月の取材時のものです。
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