
PROFILE
1987年6月11日生まれ。和歌山県和歌山市出身。両親、兄弟も全員体操選手の体操一家。小学1年生で体操を始め、中学3年時には全国大会で個人総合3位入賞。和歌山北高等学校を経て、日本体育大学に進学した。2010年のロッテルダム世界選手権では、日本女子団体5位に貢献。また、大会全体で最も美しい演技をした選手に贈られるロンジン・エレガンス賞を日本人女子選手として初めて受賞した。2012年には、4月の全日本選手権、5月のNHK杯ともに個人総合初優勝を飾り、ロンドンオリンピックの出場権を獲得。兄・和仁、弟・佑典とともに、日本体操史上初となる3きょうだい揃っての五輪出場を果たした。ロンドンオリンピックでは団体8位、個人総合16位の成績を収める。2013年に引退。その後は、イベントやTV出演、体操教室などを通じて、子どもたちに体操の魅力を伝える活動をしている。田中理恵さんの学生時代は・・・
反抗していた高校時代を乗り越え、体操が好きな自分に気づいた

しかし、中学3年生で右足首をケガしてしまいました。また、第二次性徴期も重なり、身体的に大きく変化した時期でもありました。140㎝くらいだった身長が一気に10㎝伸び、体重も10㎏近く増えたんです。体の大きさが変わると体操の感覚も変わります。それまでできていた簡単な技もできなくなり、「これまでやってきたことは何だったの?」と思うようになりました。
そんな悩みを抱えたまま高校に進学。高校3年間は、人生で一番悩んだ暗黒時代でした(笑)。練習に参加はしますが、失敗を道具のせいにしたり、一日中だらだらとストレッチをしていたり、毎日「やめたいな」と思いながら体育館に通っていました。高校3年生の冬には、とうとう練習にも行きたくなくなって、母親に「やめたい」と伝えたことがあります。「田中家から出ていきなさい」と言われるくらいの覚悟でしたが、母の反応は驚くほど優しく、すんなり「やめていいよ」と言ってくれました。
その次の日から、私は体操とは無縁の女子高生として過ごしました。学校が終わると友達と一緒に帰って、寄り道してご飯を食べて、カラオケに行って、プリクラを撮って。全部初めての経験で、その時は「私が本当に求めていたのはこれなんだ」と思っていましたね。でも、1ヶ月くらい経ったある時、「これって本当に楽しいことなのかな?」と思う瞬間がありました。支え合い、良きライバルでもあった兄と弟は今日も練習しているんだ。自分は本当にこれでいいのか。そう考えているうちに、「やっぱり自分は体操が好きかもしれない」という気持ちが芽生えてきて、翌日には、もう一度体操をやりたいと母に伝えていました。
母はまたすんなり受け入れてくれて、私は練習に戻ることができました。しかし、体の変化はなかったことにはなりません。1ヶ月のブランクもあって、思うような練習ができず、なかなか気持ちも入っていきませんでした。そんなある日の練習後、弟に真剣な顔で「そろそろ本気でやりなよ。いつまでだらだらやってんの」と言われました。ショックを受けた以上に、あれだけ優しかった弟にそんなことを言わせてしまった恥ずかしさや申し訳なさでいっぱいになりました。それが本気で変わろうと思った瞬間ですね。
体操への熱を取り戻し、オリンピックの舞台へ
演技中以外にも気を配り、上品で美しい体操選手になる

人間力やメンタル面が育ち、その後の練習では基礎を徹底。父が昔から言っていた「立っているだけで絵になる選手」を目指しました。技や動きはもちろん、演技に入る前の振舞いでも美しさを意識しました。観客が「もう一度、田中理恵の演技を見てみたい」と思ってくれるような体操をして、そこに結果がついてくることを理想としていたんです。それが伝わったのが、2010年のオランダ・ロッテルダム世界選手権だと思います。メダルには届きませんでしたが、ロンジン・エレガンス賞を日本人女性として初めていただけました。ロンジン・エレガンス賞は、大会を通して最も美しい演技をした選手に贈られる賞。自分が目指していた演技が少し認められたような気がして嬉しかったのを覚えています。それまでは無名選手でしたが、受賞後は街で声を掛けてもらえたり、大学でも注目されたり、生活が一変しました。田中理恵という体操選手が世間に知られるようになったんだなと実感した、印象深い大会です。
その後も練習を続け、2012年ロンドンオリンピックの出場権を獲得しました。3きょうだい揃っての出場は本当に奇跡で、「こんな幸せなことがあっていいのか」と感じていましたね。試合当日、会場の五輪マークを見て「本当にオリンピック選手になったんだ」と嬉しさが込み上げてくると同時に、足がガクガク震えだしました。ロッテルダム世界選手権では無名だったこともあり、緊張やプレッシャーもなく演技を楽しめていましたが、やはり五輪マークは強かったですね(笑)。平均台の演技では、自分が平均台の上に立てているかもわからないくらい緊張して、演技後には「私落ちてないよね?」と仲間に確認したほどです。ゆかの演技中も、実は音楽が全く聞こえていなくて、体が覚えていたリズムに任せて動いていました。結果として表彰台には届かなかったので、4年後のリオオリンピックでリベンジしたい気持ちもありました。しかし、年齢を考えると、やり切った気持ちの方が大きかったです。そもそも25歳でのオリンピック初出場というのはかなりの遅咲きで、「私がチャレンジした例があったから、女子選手の寿命が延びた」と言っていただけることもあります。2013年に引退しましたが、振り返れば最高の体操人生だったと感じています。
田中理恵さんからのワンポイントアドバイス
怪我をしにくい体づくりを第一に、基本の技を大事にしよう

(1)規則正しい食生活……何よりもまず、怪我をしないで継続的に練習を続けるための体づくりが大切です。今食べているものが、3ヶ月後、半年後の自分を作っているんだと意識するといいと思います。食事の過不足による過度な体重増減は健康を損ね、怪我や不調の原因になります。それではパフォーマンスレベルが低下するだけでなく、モチベーションも下がってしまいますよね。自分はどのくらいの体重の時に調子を出せるのかを知り、3食しっかり取った上で体重管理することが大切です。
(2)基礎トレーニング……私は大学に入ってから、新しく大技を習得したりはしませんでした。それよりも、中学生までに覚えていた技を極限まで磨き上げようとしたんです。例えば倒立の姿勢。倒立は、全ての種目で使う基本中の基本です。だからこそ、手の指先から足の先までがきれいな一直線になるように、徹底して練習しました。私の場合、壁にピタッと引っ付いたきれいな倒立を3分×2セット。壁を使わない倒立なら、1分×3セット行っていました。明確な数字の目標を立てるといいと思います。
(3)自分に合ったやり方を見つける…誰にでも、その人に合った練習方法やリラックス方法があるはずです。それらを見つけることで上達もしていくし、モチベーションの維持にも繋がります。私は体操選手としては大柄だったので、自分と体格が似た選手の動きを徹底して真似するという練習をしていました。憧れの選手の動画をたくさん見るのも良いと思います。小さい頃から憧れていた、ロシアのスベトラーナ・ホルキナ選手は、「立っているだけで絵になる選手」のお手本として、毎日のように動画を見ていました。そして、自分なりのリラックス方法も見つけてみましょう。私にとってのリラックス方法はストレッチ。体操のためというよりは小さい頃からの癖で、毎日やらないと落ち着きません。テレビを見ながら、歯を磨きながらなど、今でも日常の中でストレッチしています。
体操選手にとって大切なことは、継続力です。練習をコツコツ頑張って、体づくりをしていける選手が強いと思います。しかし継続力というのは、どれだけ頑張り続けられるかということではありません。頑張りすぎて怪我をしたら、元も子もないですよね。選手として継続するためには「これ以上やったら怪我をする」と判断できるように、自分を知ることも大切なんです。体づくりやメンタル強化を継続しつつ、常に自分自身と対話することも意識してみてください。
※掲載内容は2025年8月の取材時のものです。
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